35ナビ/産後ナビ 産後のママ応援団

子どもをあまり抱っこさせたくない

田舎の敷地内同居ということは都会の方ではなかなか想像ができない問題だと思います。

せっかくだけど子供を抱っこさせたくないという気持ち

私の嫁いだ地域では、夫の実家の敷地内に家を建てて息子夫婦が住む、という敷地内同居が一般的です。夫の両親の人柄はとても良く、何の迷いもなくそれを承諾しました。出産前は、夫の仕事中に一人で夫の実家に遊びに行き、お茶をするくらいでした。

私は第一子を里帰りしませんでした。夫の母が毎晩夕飯を作って届けてくれたのにはとても助かりました。隣の家に住む孫の顔を見に、義両親は度々訪問するようになりました。気軽に来てくれるのはとても当然のことだと思います。しかし次第に私の中で、思いもよらなかった感情が湧き出てきたのです。

訪問しないで

新生児の息子は一日の大半を眠って過ごします。しかし、お昼寝の時や授乳中にインターフォンが鳴ります。寝ていた息子は泣いて起き、授乳をしていたら中断して玄関に向かいます。義両親は差し入れを持って上がって、30分ほど滞在するようになりました。いつ来るのかはわかりません。遠方に住んでいる場合と違い、隣に住んでいるとアポなどないのです。毎日、というわけではなかったのですか、週に1度は顔を見せてほしいと言われました。私は産後の腰痛でも、脚を引きずってお茶を出しました。

地域の人たちと親戚の訪問

極め付けは、地域の習慣で、赤ちゃんが生まれると集まりが行われるということでした。出産するまで知りませんでしたが、田舎はこういうところが面倒です。まだ生まれたばかりだから、と先延ばしにしていましたが、ついに『なぜ生まれたのに顔を見せてくれないのか』と義両親が言われたらしく、生後3カ月の時にその会を開催しました。自宅ではなく、夫の実家に来てもらいました。近所の人2,3人というわけではなく、15人はいたと思います。一人一人に赤ちゃんの顔を覗かれ、1時間以上は滞在したと思います。長くて、辛い時間でした。母乳なのかミルクなのか、そんな質問にもイライラしていました。

夫の親戚も頻繁に来ました。『こんなに可愛い子だから連れて帰りたい』。もちろん冗談で言うのでしょうが、当時の私には冗談に聞こえず、本気で恐怖を感じたのを覚えています。自分だけの可愛い可愛い息子で、夫の両親や親戚、地域の人が抱っこすると、何故か取られたような気分になるのでした。夫と自分の実家の家族の抱っこしか許せなくなっていました。

精神状態の悪化

当時の私は若かったので、若い母親にしっかりとした育児ができるのかと思われているのではないかと、すごくストレスを感じていました。子どもが泣き止まなければ虐待を疑われているのではないのか、窓を閉めて、カーテンも閉めて、電気も消して、まだ幼い子どもに『なんで泣き止まないの?!』という感情をぶつけたことも。抱っこさせたくない、という気持ちは、長いこと消えませんでした。預けることも考えられず、自分一人で独り占めしていたい気持ちできた。

どうすれば良かったのか

私は物凄く閉鎖的な環境で育児をしていました。車社会で、車なしではスーパーすら行けない地域だったのにも関わらず、ペーパードライバーだったので運転を避けていました。買い物へも、児童館へも、自分の実家へも自由に行けない生活が半年以上続きました。今思えば軽く産後うつだったのかもしれません。唯一の気分転換だったのは、近所の散歩です。しかし、庭に出れば義両親。『この後行ってもいい?』と聞かれます。近所を歩いていれば近所のおばさんたちに出くわします。抱っこ紐での抱っこを見て、『転ぶんじゃないかと見ていられない。昔はおんぶしてたよ。』なんて言われて、嫌な気分になっていました。

 

もちろん一人で育児していたのがいけませんでした。夫も忙しく、ワンオペ育児が当たり前だと思っていましたし、当時はそれは苦ではないという認識でした。しかし、周囲にもっと上手に甘えていれば良かったのです。当時の写真を見ると、化粧気もなく服も地味で表情に元気がなく、老け込んでいます。多少の気分転換は大事だと強く思います。

私はそのことを教訓に、二人目で全部真逆のことをしました。里帰りをしました。まずは実家の家族に存分に甘えました。まず子どもを実家の家族に抱かせたことにより、自分以外の抱っこへの抵抗を減らしました。夫の両親よりもハードルは低いし、気を遣わずに何でも言えます。里帰りは3週間もしないうちに帰ってきました。12月の出産だったので、すぐにお正月が来ました。お正月は夫の実家で食事会が開かれます。新生児がいるということで、できるだけすぐに帰宅させてもらいました。気を遣わずに、自分の気持ちを優先してみることにしたのでした。

不満は夫から義両親に伝えてもらいました。インターフォンは鳴らさないで、と頼みました。私が出向くことにしたのです。玄関先で赤ちゃんの顔を見せて、少し話して終わり。お互いにストレスフリーです。二人目だったので、近所の人や親戚の訪問もそれほどありませんでした。

そして、子どもは泣くのが仕事と割り切るようにしました。上の子いての心の余裕だと思います。手が離せない時は泣かせておきました。車が運転できるようになったので、産後すぐに、市の子育てサークルへ足を運び、他のママたちや助産師さんたちと会話をしました。児童館へ行ったり、時には有料託児も経験しました。第一子の時にはかんがえられなかったけれど、化粧やお洒落をする余裕が生まれました。

結果、下の娘は他の人が抱っこしても気にならないようになりました。子どもにとっての唯一の母親は私だからということに自信を持てたのです。母親の自分のメンタルは何よりも大事です。子どもへの接し方に直接影響するからです。

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